実力の必要性

ある程度の人が全員平等であるという事実を知ると、次に求められるのが実力だ。

 

私は今まで”優れている人”と”優れていない人”がいると思っていたが、実際にはそれぞれ優れている箇所と劣っている箇所があって、人間を1つの枠組みに括る事は出来なかった。

だからこそ、ここで重要になってくるのが実力である。

平等な人間の中で突出する、あるいは秀才な人間という評価の枠に入り込むには目に見える実力が必要なのだ。

人間はどうしても比較をしたがる生き物だから、他者からの比較によって受ける、煩わしい評価から脱するには実力を身に付けるしかない。

優れている人と優れていない人が存在しなかったとしても、”裕福な人”と”裕福じゃない人”は存在するのだ。私は楽をして生きたい。

 

けれど、これらはかなり辛辣な意見だ。こんな事を考えていたら鬱屈な生活になるのは間違いない。

再三言うが私は楽をして生きたいのである。出来れば難しい事は考えたくないし、嫌な事も一切考えたくない。だから、上記の事を心に留めながらポテチでも食べようと思う。