脳みそ

多分、みんな同じだと思うんだけど、

大体の人は、脳の容量がある程度決まっている。許容量以上の情報量を処理しようとすると脳が痛くなって考えるのを止める。か、時間を存分に使って考える。か、紙に書き出して脳の働きの補助をする。

 

脳が痛くなって考えを止めた時、脳にストレスがかかっているから発散するために怒ることもあるだろう。高齢者によくある脳の働きな気がする。(偏見)

 

このブログで話したいのは、脳の容量オーバーが起こった時、自分でオーバーを察知できないと想像以上に辛い目にあうということ。

例えば、自分の脳の容量を考えながら過ごすのはかなり面倒だし、誰かと話している時によくよく考えたら相手の方が正しい意見を言ってるなんて考えるのはかなり苦痛だし、瞬時に自分が考えた答えを正しいと思った方が、時間的にも使う脳の容量的にもかなり効率良く思えるし楽なのだ。

 

これを繰り返すと何が起こるかというと、

老害”になる。

 

つまり、脳の容量が分からず、自分が思考放棄してることにも気づかず、一瞬の快楽を得る”老害”になる。

しかし、老害的思考は基本的に現代と合わない。

現代人が力を持った時、まず初めにその思考が淘汰されるだろう。

  

  

なんでこのブログを書いたかというと、

自分がまさに思考放棄に走ってしまう脳みそを持っているからである。

嫌なことは嫌だし、辛いことは辛い。投げ出したいし、逃げたい。楽したい。

でも、その老害的思考に何も考えを持たなかったら自分が堕落するのは分かる。

あたかも、簡単なことを難しそうにやって、自分はやっているんだ。自分は大丈夫。自分は悪くない。という思考になるのはわかる。

(今の自分は、相手目線では確実に悪いことをやっている自覚があるけど、自分自身が悪いと思わないからやるっていう自己中スタンスだけど、これは老害なのか。悪いって認めてるのにやる方がよっぽど悪いのか。その相手とは人生の中で一切関わりたくないから、相手も自分も平和だと思うんだけど。

もしも関わりたくない人と関わらなきゃいけない仕事に就くなら、自己中がデメリットになる。ということだと思っている。)