自己啓発書と論文信者が嫌われる理由

自己啓発書や論文はあくまで知識の提供に過ぎず、過大評価をしてしまっている人が見受けられる。

知識を受け入れるのは良いが、身についていなければ机上の空論と化す。

要は、意識高い系の無能になるのだ。

 

では、意識高い系の有能になるにはどうすればいいのか考えてみよう。

答えは簡単。自分のスキルを上げればいい。

だが、それが辛いのだ。だからこそ、地道に上げたスキルは価値を生み出し、

そのスキルが欲しいと言う人が出てくる。

しかし、そのことについて理解していないと、銀の弾を探す信者が現れる。

これが、自己啓発書と論文信者が嫌われる理由である。

 

結局、私達の過去を思い返してみると、知識はいつだって自分が行動を起こして

使ってやらないと効力を発しなかった。

また、過去の成功体験を思い出してみよう。

そのほとんどが、自分の”行動”があってこそ生まれた成功ではないのか?

 

嘆くだけなら誰でもできる。しかし、市場は誰でもできることに価値を見出さない。

私たちは、色々な知識を手に入れられる現代に生きているからこそ、

それらとの向き合い方や、有益にするための活用方法を模索するべきである。

 

私たちは、”時間”をかけてやることでしか成長できないのである。

効率性は重要だ。時間の節約に繋がるから。

でも考えてみてほしい。

どんなに効率性を追い求めたところで、結局”時間”は使わなければならない。

この当たり前なことから逃げる人間は、一生成長できないであろう。