愛情

いま私の脳内を占めている感情は愛情である。

これはドーパミンではなくただ純粋な信用と情愛により成り立っている感情だ。

ドーパミンが出ていないと言えば嘘になるが、比較的緩やかな分泌だろう。

 

私は今まで人を信用するという行為が苦手だった。

なぜなら自分に自信が無いから。常に裏切られる事を予想して行動していたし、実際20歳になるまでは人間関係でとてつもなく苦労していた。ネット上に不満を吐露しないと感情が抑えきれないほどにストレスが酷かった記憶がある。

 

当時の環境は、生活費がパチンコに使い果たされ、電気ガス水道が止まったり、常に家の中がゴミで一杯で、足の踏み場が無くても気にしなかった。毎日のように親は死にたいと泣いて自傷行為に走り、私がなだめるのを待つ。兄は暴力や暴言で人をコントロールしようとするので殿様に接するように顔色を伺った。学校にも友達と言える人はおらず、誰に対しても謙遜して目が合わせらなかった。だから同学年の人には疎ましがられたり、奇異の目を向けられていた。そのまま不登校になり、事情を知っている大人は「可哀想だね」と言い、私の境遇を哀れに感じていた。可哀想な人間という劣等感は私の心中を苦しめた。

アルバイトをしても暴言を浴びせられ、人に対する諦念を覚えなければ生きていけなかった。

 

ただ、そんな荒れた環境と私の精神状態でも去っていかない人間もいた。それは近所にいた本が好きなおじさんや、車椅子を製作している社長、ネットでは当時からの知り合いが1人だけいる。

素敵な人と関われたのが私の中で運が良かったと思える。

題名に戻るが、なぜ愛情が脳内を占めているかというと今好きな人がいるからだ。そして、当時は気付けなかった人からの愛情が、思い出して気付く度に感謝の気持ちに変わるからである。

恋人に関しては、互いに気持ちがあるならこのまま関係を続けていきたいと思っているし、あまり言いたくないが離れる事になってしまったら仕方ないとも思っている。

この先何が起こるかわからないからだ。

 

この考え方が良いのか悪いのかは分からないが、大事な人達との関係を大切にしていきたいと思っている。