ヘイト

やばいことをする人間が許されて、そんなにやばくないことでもしたら許されない人間がいる。

 

この違いは、評価される人間が、評価する人間にどれほどの利益を与えられるかの違いであると思う。(もちろん無償の許しの精神が発動する可能性はある。)

 

開放すれば利益がある、許せば利益がある、ここだけ目を瞑れば他の利益がある。当たり前ではあるけれど打算的だ。そうしないと'優秀'な人間が決められなかったのだから仕方ないだろう。

 

自分を許してくれる人間と、自分を許してくれない人間の違いは何なんだろうか。

自身に置き換えると分かりやすい。

母は許してくれるだろう。兄妹も許してくれるだろう。職場の人間は?

最終的には許してくれるけど、ねちっこいかもしれない。でも、仕事で利益がある人間にねちっこくなんてできない。(私はこれが嫌いだ)

 

考えるほどに逃げ道がない。結局、どうでもいいじゃんそんなのって思考がないと、自分を追い詰めることになる。

いやな考え方をする人達が嫌いだって一まとめにすれば楽になるけれど、何のメリットもない。社会へのヘイトも、楽になるけれど、自分の成長を止めるだけだ。

くだらないけど、自分が成長して、高みの見物をする以外に楽になる方法は無いのかもしれない。