結局自分が成長しないと意味がない

あーだこーだと罵り合いが始まったところで、結局自分が成長することが何よりの解決方法である。

どのみち、自分が何か成果を出して、自分の脳みその中が良い状態だったら、他がどうであろうと関係ない。

誰に何を言われようが、どんな対応をされようがどうでも良くなる。

 

しかし、これには欠点がある。

その人がずば抜けて優れているなら良いのだが、大抵の人は誰かの協力が必要になる。

そういう時にあまりにも不干渉だと苦労するのだ。

精神的に、身体的に、誰かの協力が必要な人はある程度周りに干渉しなければならない。

どうでもいい人には全くもって干渉する必要は無いが、関わりたい人、どうしても関わらなければならない人に対しては、一緒に歩んでいく為に譲歩が必要になる。

 

人間関係とは、このバランスが重要なのだ。

近すぎず、遠すぎず、丁度良い距離感は一人一人に対して適応しなければならない。

 

私の母との話し合いに疲れたため、教訓としてブログに残す。

今年もありがとう

人と関わるほど成長する面もあった。

 

しかし、それは良い関係に限る。

相手が嫌いとか、自分を貶めてくるとか、悪い関係が自分のコミュニティに一つでもあると成長が止まる。

 

これらの回避方法は、物理的な接触を避ける、お互い視界に入らないようにする、なるべく要件をコンパクトにして手短に済むようにするしかない。

そうすると、自然に相手が自分に対して何の意識も持たなくなるし、こちらとしても楽なことこの上ないのだ。

 

私はパワハラを受ける体質であるが、ルルさんのためにも私自身のためにもなるべく回避したい。

 

脳みそがおかしい状態になるのは全員共通なので、相手がそうだった場合は、まず正常者側から接触を避けることが重要である。(教訓)

 

あとは、ルルさんと喧嘩してめっちゃ傷付いたし傷付けたので、供養の念もありブログを書いた。

私はルルさんを尊敬しているし、ルルさんも私の良いところを見つけてくれるので、私達は互いに成長させあえる関係なら嬉しく思う。

 

今回の喧嘩では、大きな喧嘩をしても仲直りすることはできるということを学んだ。

喧嘩はなるべくしたくないし、お互いに悲しくなるし、申し訳なくなるし、虚しくなるので、表面上だけではなく、環境自体を改善することも大事だと学んだ。

 

色々あるけど、

みなさん、今年もありがとうございました。

今後ともよろしくお願いいたします。

ヘイト

やばいことをする人間が許されて、そんなにやばくないことでもしたら許されない人間がいる。

 

この違いは、評価される人間が、評価する人間にどれほどの利益を与えられるかの違いであると思う。(もちろん無償の許しの精神が発動する可能性はある。)

 

開放すれば利益がある、許せば利益がある、ここだけ目を瞑れば他の利益がある。当たり前ではあるけれど打算的だ。そうしないと'優秀'な人間が決められなかったのだから仕方ないだろう。

 

自分を許してくれる人間と、自分を許してくれない人間の違いは何なんだろうか。

自身に置き換えると分かりやすい。

母は許してくれるだろう。兄妹も許してくれるだろう。職場の人間は?

最終的には許してくれるけど、ねちっこいかもしれない。でも、仕事で利益がある人間にねちっこくなんてできない。(私はこれが嫌いだ)

 

考えるほどに逃げ道がない。結局、どうでもいいじゃんそんなのって思考がないと、自分を追い詰めることになる。

いやな考え方をする人達が嫌いだって一まとめにすれば楽になるけれど、何のメリットもない。社会へのヘイトも、楽になるけれど、自分の成長を止めるだけだ。

くだらないけど、自分が成長して、高みの見物をする以外に楽になる方法は無いのかもしれない。

インターネットは

インターネットは夢を奪う。と、同時に夢を与える。

これは、どのような使い方をするか?という一文では言い表せない。

何時間目に触れるか、何時間ディジェネレイトをするか、何時間意識に入れるか、何時間有益な使い方をするか。

思考が縛られ、潜在意識がそこから抜け出せなくなる。

つまり、もっと大事なことがあるはずなのに、目を逸らす場所を作ってくれるのがインターネットであり、もっと大事なことを教えてくれるのがインターネットである。

なんだ。

一年間で数十人の生徒を見た。集中力を出そうとしても出せない生徒はインターネット奴隷なのか。

ゲーム中毒者か。

確かに、集中力の無さで一位二位を争う人々はみんながインターネット奴隷だった。

かくいう私もインターネット(特に人と繋がれるもの)を扱っているときは確実に意識が停滞している。

離しては実感し、近付けては奴隷になる。

怖い。

特に奴隷のときは怖いと思えない。これが恐怖を増大させた。

適切な使い方なんて、一番遠くに離して使わないようにした末に、インターネットでしか出来ないことがあるから使う。という方法しかないだろう。

どれだけ賢い人が時間を奪おうとしていると思っているのか。

もはや情報操作が主な目的ならTwitter社は不正操作で自由に操れるだろうし、その力に便乗した団体は、既にイイネやリツイートを増やしてみんなの目に止まる方法を知っている。

もはや不正ではない。デバイスの表示方法を変えるだけで多くの人間が動く仕組みだ。

 

なんて夢があって夢を無くす物なのか。

人の脳は変わりやすいため、操縦者が求められる。

逃げるため

逃げるための独立は必ずボロが出る。明確な目標が無いのにも関わらず、今の現状から逃げようとするのは浅はかだ。それなら、今の目の前のことに一生懸命になった末に、明確なやりたいことに向かって新たなスタートを切り出した方がいい。まずは目の前のこと。その余剰に自分と未来の分析だ。本当にやりたいことがあるのなら、順序立てた道筋が見える。それすら無いのに何でもかんでも行動していたら、結局は自分の首を絞めることになる。時には突発的な行動力も必要だが、それが全てでは無い。時と場合によって、集中する先をコントロールする必要がある。

 

また、願望を抑制して生きろということではない。100%の本能的な行動では身を滅ぼすということだ。80%は土台を安定させて、残り20%はリスクを負ってでも行動すればいい。身を削るのが20%で留まるのなら、今後も常にリスクを負って行動することができる。これは自分自身のマネジメントである。

人に教えるということ

以前から自分が教わる、自分が成長する、自分が、という成長マインドが多くあったが、ふと最近、他人に教えるということに興味を持ち始めた。

エリクソンのライフサイクル理論とかいう成人期に関心を持ち始めたのだろうか。

この人の理論では、成人期になると他人を育てようとする生産性に目を向けるらしい。

正直ピンとこないけど。まあそういう生き方の段階もあるのだろう。

同時に、「自分のことがどうでもいい」と考える人がいることを知った。

人の目が気になったり、貶されたり見下されたりして憂鬱になることは沢山あるだろう。しかし、もっと重要なのはそれに頭を使うことではなく、目の前のことに頭を使うことである。そんな人の思考なのかもしれない。

(話が逸れるけど、信じられる自分の味方が一人でもいれば大概は水に流せる。自分のことがどうでもいいという思考はある程度重要だけど、マストではない。人生はもっと複合的だし、考えても答えが出ない。)

 

This is off the topic, but I want to talk about this.

I think speaking English is usual, because there are 19% of English speakers in the world. However, we can live without a problem. So we would learn English needing it to live.

Thank you for reading! I just go to 🛌.

Hiiiin

 I am getting near to learn many English words and grammar day by day. So I just try to get a TOEIC score of 500. I may get this because my skills don't make it so hard. I will keep up.

 Incidentally, People having no English skills say "I don't know how to learn English even though I have studied it at school", but the way is easy than that of their thinking. If we just keep stepping up from the easiest English grammar in a short time, we could speak a bit of English.

 

Good Night! 😴