劣等感や比較

私はずっと劣等感を抱えて生きてきた。ずっと比較をして生きてきた。ずっと人間が辛く感じる部分を刺激しながら生きてきたのだ。これが自傷だろう。

 

けれど最近は、何に対しても比較する癖が和らいできたように思える。それは何故かと言うと、自分の中の1番大事だと思う概念を成長させようとしているからかもしれない。そして、成長出来る事を確信してきたからその自信が比較癖の緩和に繋がったのかもしれない。

 

つまり、自分の中で優れている物を見つけ、それを伸ばせると確信した時に、「他人の優れてる場所」と「自分の優れてる場所」は違うんだという事を認識したのだ。

 

これは、理解しているだけじゃ駄目だった。脳はいつだって、理解や知識だけじゃなくて、体験を基にしてようやく落ち着いてくれる。

 

そして、そもそもそういう思考になったのもずっと勉強しているからのようにも思える。

私のやってる事が、日々、時間を重ねるにつれて正しいと実感させてくれるのが、何よりの幸せなのだ。

 

だからこそ、私の仲間じゃない人がそれに気付いてしまうのがとても怖い。(自分が浅識なのは分かってるけど。)

これはわがままなのだろうか。もし知識を奪われたら、私の幸福が無くなってしまうのだろうか。

この考えは浅はかなのか。限度があるのか。

 

酔っぱらい日記 完